松本文書


松本家の歴史について、調べた事を残しておく。
裏高野山にある【三鈷の松】
裏高野山にある【三鈷の松】

安曇磯良 (あずみのいそら)

古代、朝鮮半島から日本に渡来してきた海部氏。その後、幾つかの部族に別れ安曇氏となる。

安曇族の長が安曇磯良である。

安曇族と出雲族は同族とされているので、出雲族の長、スサノオと同一とされる。


三又のホコを持ち、海神ポセイドンとされる。ギリシャ神話


日本神話では、ワダツミノカミ

豊玉姫の父で豊玉彦とされる。


弓月城 (ゆずきじょう)
弓月君の城で中国西武にある。
弓月君は秦氏の祖で、稲荷社が朱色なのは、ここに起源がある。
南知多町の松本姓は
伊勢神宮の社家
伏見稲荷大社下社の神主

御祭神
豊受大神
宇迦之御魂神

秦伊呂久 (はたのいろく)

伏見稲荷大社を建てた秦氏の長。

秦伊呂久、後の賀茂伊呂久の後裔が松本と大西である。


師崎にある霊山

浅間山

富士山

榛名山 (はるなさん)

現在の小佐のパイロット。

秦氏の山。

弘法大師空海が修行した霊山。

土御前神社

神明社と榛名山の祠。

小佐の方角に向けて建てられている。

太鼓打ちの起源

吉原遊廓で行っていた【花魁道中】同様、陰陽道の舞により、村中を周り、結界をはった。


遊廓を営んでいる家は、陰陽師の家系が多く、花魁の着物を、手直しして、子供に着させた。


吉原の入口にある、見返り柳、遊廓の四つ角にある祠は、陰陽師の結界。


花魁が履く、黒の高下駄、足の作法も陰陽道から来ている。

祝詞


鴻庄 (おおとりしょう)
鴻 (ヒシクイ)
カモ科の水鳥

カモ  →  賀茂
 

本殿、鬼瓦に【神】の文字
本殿、鬼瓦に【神】の文字

土御前神社 (つちのごぜんじんじゃ)

創建不明


別名 筒神社、かるも神社

刈藻神社

須佐の賀茂神社


筒の神 住吉三伸  安曇族の神

月、星の神


憑藻神  九十九神


御祭神  

アヤカシコネノカミ


兄神

伊勢神宮

オモダルノカミ


第六天魔王 天魔


縄文の女神 (ヴィーナス)


阿部晴明の子孫、土御門家が統治していた賀茂陰陽道の神社。


松本清十郎の父、禰宜左衛門が神主を務める。

水と矢倉

⛩️

水と久保

⛩️


初神の津島神社?

水と久保

⛩️

松本清十郎が小佐に通ったと、須佐踊りで歌われている事から、小佐に松本家の墓があり、薬師堂を建立したと考察する。

小佐の神明社。

榛名山にあった神明社。


神様を山からふもとへ

真っ直ぐ下ろした。

それができるのは、天文学に優れた陰陽師の松本家。

山本姓が多い。


神明社の違和感

出雲族の部落にアマテラスを祀る神社はあったのか?

社の造りは出雲造りで、神殿だけは神明造りになっている。


祇園祭りの違和感

祇園祭りは牛頭天皇(スサノオ)を祀る祭りでアマテラスではない。


現在、小佐の山ノ神は、陣の山の中腹に鎮座している。



廃仏毀釈のお寺
廃仏毀釈のお寺
光雲山長泉寺

千賀氏  (せんがし)

愛媛の主要部族、越智氏。

村上水軍

伊勢志摩に千賀町


伊勢志摩千賀守


一族から

橘氏、新居氏、(にいし)

高浜氏が出る。


新居  あらい  →   にい

虚空蔵菩薩信仰の遺物
虚空蔵菩薩信仰の遺物

立石様

須佐の連の墓

神棚に祀られていた銅鏡
神棚に祀られていた銅鏡

津島神社

建速須佐之男尊


中東エラム国にあった首都スーサの王。名はインシュシナク。


ギリシャ神話ではパン

中国ではパング

インドではシバ神

日本ではスサノオ


仏の世界では閻魔大王

高瀬川

京都伏見稲荷大社に流れる川


百々川

初神の丸山稲荷神社から流れる川

出雲言葉で【どんど川】

架かる橋を【九十九橋】

九十九(つくも)とはキツネの事。


相川

相川姓の由来


丸山   古墳の上の⛩️




【松本家家紋】

丸に大聖寺梅鉢  (加賀梅鉢)

梅鉢紋のルーツ

天神、菅原道真が好んだ花、梅から、菅原家の家紋となる。
加賀藩、前田家が菅原家の末裔として、加賀梅鉢を使用している。松本も菅原家の分家だと思われる。

天神の家紋と、小佐の天神山。
小佐の天神山にあった神明社が、天神であるなら、松本家が祖神、菅原道真ををお祀りした神社となる。

追記 天神山の祭神→天穂日命
菅原氏の祖

加賀梅鉢は5つの宝珠と5つの剣、真ん中に鏡で構成されている。
三種の神器

須佐之男   スサの王
倭国の最初の統治王
神武天皇のモデルとなる。

中東は上に高天原
            下に葦原中津国

エラム王国の首都スーサは、滅ぼされ、正統ユダヤ人は、倭国に渡来してきた。

追記
スサノオ
朱砂の王 
須佐の地で辰砂【丹】を採掘

スサノオの神格
祇園精舎の主祭神は、牛頭天王。釈迦族は出雲族で仏陀はスサノオと同じ神格。
再臨のスサノオが弥勒になる。

釈迦族【スキタイ】は、騎馬民族
ヒッタイトとなり、製鉄の技術と共に渡来する。


5代目忠兵衛の名前
弥六→ミロク


出雲大社 (いずもおおやしろ)


京都にある出雲大神宮の分社で

別名、杵築大社 (きずきおおやしろ)


杵築  →  気づき


高さ48Mで渡来してくる、他民族の監視塔であったと思われる。

小佐のパイロットにあった神明社。

神明社は太陽神を祀る神社。
須佐では、アマテラスは祀らない。

言い伝え
天神山のお天狗様の話。

天狗と言えば
出雲の太陽神    サルタヒコ

小佐の浄土寺の前の神明社も
御祭神は猿田彦となる。

猿田彦の妻、アメノウズメも
太陽神  猿女

天神山
西 松本 清十郎 家  月峰の神  陰
東 松本 忠兵衛 家  太陽神      陽

清十郎の戒名に月が入るのはその為。

賀茂陰陽道

親展追記
スサノオは太陽と月、両方の神格を持つ為、小佐の神明社は太陽神スサノオを祀っている。

豊臣秀吉により京都から追い出された陰陽師。


賀茂氏松本家


それを助けたのが、徳川家康。


松本家と徳川家の繋がりが、本能寺の変の後ち、甲賀越えをして三河まで帰る計画に参加する。


伊勢から大浜まで千石船で送る。

角屋七郎次郎


その功績で吉原遊廓の利権をもらう。


朱印船貿易で何処の港でも自由に出入りできる特権を貰い、八幡丸を造船する。


子孫末代までの特権で、八幡丸の寄港した港に海上安全の神を祀る

八幡神社を建てて行った。


徳川の御用商人を務めた。






龍神様
小佐のパイロットを造成した時に山の斜面に埋もれていたのを、偶然発見した。、

山肌を削って、掘り出して、櫓を建てて祀った。

竹やぶの中に鎮座しているので、
かぐや姫として祀っている。
 

山幸彦と海幸彦の話


亀に乗って竜宮城に行ったのは

海幸彦の方で出雲系

秦氏だとされている。

亀は出雲系の総称


人魚の肉を食べた秦氏の娘が不老不死となり、【八百比丘尼】になったとされる。椿の木を植えた伝承が残る。


山幸彦はアマテラス系なので、

天皇家は海幸彦系、出雲系という事になる。


山幸彦 ⇒ 日向族

海幸彦 ⇒ 隼人族    天皇家






世界最古の文明  【縄文文明】

太平洋にムー大陸は、存在しなかったが、日本列島の下に大陸が広がっていた。海面が150m上昇して、今は沈んでいる。


縄文の神様は、オオカミ🐺、カミナリ⚡、火山🌋、津波🌊、命に関わる事を恐れ、祀っていた。


日本が人類発祥の地である根拠は、日本が火山大国である事と、世界最古の土器が見つかっている事でわかる。火山があることで氷河期をしのげた。

小佐 浄土寺のお亀さん。


伊勢から須佐に神様を移した。

引っ越しをしたという事。


龍亀大菩薩


亀は出雲の神様という事

龍は、スサノオの事


平安時代には、須佐はソサと書かれている。



加賀、横須賀、伊賀、甲賀


秦氏、縁の地。


加賀の蘇我氏 

ソガ ⇒ スガ ⇒ スサ


横須賀と須佐の繋がり

賀茂陰陽道の

上社 横須賀

下社 須佐


最終地

日間賀島




小佐のパイロットにあった

神明社  太陽 男 白 


移設前の土御前神社

旧土御前神社  月 女 黒


同じライン上に建てられている。


陰陽師の結界で村全体が守られていた。


泰山府君  【たいざんぶくん】


賀茂陰陽道の最高神


徳川家康が松平家の出で、松平氏の祖が賀茂氏に繋がっている。


家康が広めた信仰は、薬師如来。


家康は神格化され東方大権現になる。


小佐の東方寺の薬師如来。


薬師如来はスサノオと同一とされる。


黄泉の国の神  ツクヨミ

泰山府君

閻魔


同一とされる最高神。



















須佐の白山信仰


初神にある白山神社(しらやま)

主祭神  菊理媛神  (くくりひめ


菊理媛神とは、九頭龍   龍神  9


半月のお寺  円増寺の御本尊

十一面観音  11


9×11 = 99


半月に流れる川   百々川(もも)

桃は不老不死の妙薬。 100


百-(一)は白  白=九十九


半月にあった九十九橋    99


半月の白山神社 (はくさん)

白龍山 龍神 1


99 + 1 = 100  百龍    桃龍







豊浜はワノ国だった。

漫画ワンピースの舞台である
【ワノ国】は豊浜にあった。

桃之助  桃色の龍 → 百々川
カイドウ  藍色の龍 → 相川
ルフィ  猿 → サルタヒコ 神明社
ヤマト  犬 → ヤマトタケル 須男神社
マルコ   雉 → 鳥居
オロチ   越智 → 千賀家
お玉     羽豆岬   → 玉姫

百々川と藍川の合流地点
【御仮屋】がある。

祭りの原点は、龍神のパワーが
ぶつかり合う事にある。

須佐城は将軍様のお城


明治に廃仏毀釈にあい、須佐と言う文字は、封印された。豊浜の豊は、九州の豊ノ国に繋がる。
豊受大神
       

陣の山にある小佐の山の神

榛名山から陣の山に移された神明社。


天神山の由来となっている神様。

太陽神、サルタヒコ、八咫烏の奥宮

須佐の御神木【荒磯の松】
須佐の御神木【荒磯の松】

須佐


松本氏の分家、須佐氏が治める村。

長野県安曇野で須佐神社を守護する一族。


清和源氏の流れを組み、鎌倉時代には、須佐城に住む。


松本氏の流れ


新羅からスサノオが倭国へ帰ってくる時に連れてこられた一族。海人族、阿曇氏が東征して、長野の安曇野で松本氏を名乗る。戦乱をきらった、松本彦太郎は三重に移住して、廻船問屋を始めた。時の帝より

角谷の屋号を賜り、北前船で日本の文化を作った。神職の家系であった松本氏は、伊勢神宮の社家であり、廻船業の拠点であった須佐に根を下ろし神職となった。

吉原遊廓は須佐で持っていた。

尾張屋清十郎    松本

松葉屋六兵衛    忠兵衛

和泉屋                松本

俵屋                    松田

加賀屋                家田

伊勢屋                植田

大黒屋                渡辺

桔梗屋                ?


豊浜、唯一の苗字【木学】について調べた結果、木学→氣学

陰陽師の家系だと思われる。


桔梗屋は木学かもしれない。


西まさる先生の書
西まさる先生の書

江戸、吉原遊廓の事は先生が調べて、本にまとめてある。


家の先祖は吉原で妓楼【松葉屋】を営む。


廻船業をやっていたので、江戸だけでなく、各港町にも、女郎屋があった。

角屋家の本姓・松本家の祖先は信濃国筑摩郡松本の出身である[5]。永享年間に伊勢国度会郡山田に移住した[6]。七郎次郎元秀の代に伊勢国度会郡大湊に移住して廻船問屋を開始し、「角屋」と号する商人になった[6]。元秀の子・秀持は本能寺の変において一揆に追われた徳川家康の危急を救い、徳川氏の御用商人となった[7][8]。また、後北条氏・織田氏・北畠氏らの御用達にも携わる豪商ぶりであった[1]。 2代目忠栄の代には蒲生氏郷の松坂城築城と城下町の楽市楽座の開始に伴い、松阪を拠点として活動するようになった[1][9]。 3代目忠祐の代、貿易中に鎖国令が出て帰国できなくなった忠祐の弟・角屋七郎兵衛栄吉がホイアンに永住することになるという出来事もあった[10]。 1765年(明和2年)には藍玉問屋をはじめ、その2年後には酒問屋も始めた[1]。1769年(明和6年)には一般の諸問屋株禁止のところ角屋だけ除外され、藩から手厚い保護を受けた[1]。 1893年(明治26年)3月の松阪大火では家財を焼失したが、代々祀っていた徳川家康の木像は焼失を免れた[11]という。 11代秀貞の代からは再びもとの山田の地に移住した[1]。

ニギハヤヒが、出雲、大和、日向、3氏族の大王となり、倭国を統治していた。


死期が近ずいたニギハヤヒは、弟のニニギに王座を譲った。


3氏族の長となったニニギを、日向の神として、出雲と大和を排除した事が神話の造作の始まり。


国譲りは、ただの王位継承だった。



須佐の名前は封印されたが、

秦氏の故郷、九州の豊ノ國の【豊】を残せたのか!


豊受大神の豊

家田【いえだ】は

【やだ】→【やた】→【はた】

秦氏の末裔

日本三大古墳
日本三大古墳

西出雲大国 内家

阿蘇山

山本


東出雲大国 富家

御嶽山 剣ヶ峰

松本


鞆の浦


東北

荒木田山



京都に祭祀場
京都に祭祀場
八葉
八葉